ヒマラヤ山(さん)脈(みゃく)の周(しゅう)辺(へん)では、鳥(とり)が朝(あさ)日(ひ)を浴(あ)びながら飛(と)びまわっています。6月(がつ)5日(いつか)の世(せ)界(かい)環(かん)境(きょう)デーに合(あ)わせて、山(やま)のふもとの美(うつく)しい村(むら)の住(じゅう)民(みん)たちが清(せい)そう活(かつ)動(どう)に取(と)りくんでいます。小(こ)道(みち)やチョウタラ(木(き)の下(した)の休(きゅう)けい所(じょ))、水(みず)飲(の)み場(ば)、寺(じ)院(いん)などをきれいにそうじしています。ゴミはゴミ箱(ばこ)に捨(す)てられ、植(しょく)物(ぶつ)に水(みず)をやっている人(ひと)もいます。
ダサイン(ヒンドゥー教(きょう)の祭(まつ)り)は、ネパール最(さい)大(だい)の祭(まつ)りです。すんだ空(くう)気(き)と緑(みどり)に囲(かこ)まれた環(かん)境(きょう)の中(なか)、たくさんの鳥(とり)が飛(と)びまわっています。大人(おとな)たちはティカ(額(ひたい)につける赤(あか)い粉(こな))とジャマラ(大(おお)麦(むぎ)の穂(ほ))を捧(ささ)げ、愛(あい)する子(こ)どもたちに祝(しゅく)福(ふく)を与(あた)えます。人(ひと)びとは様(さま)ざまな種(しゅ)類(るい)のぶらんこにゆられています。この絵(え)は、ぼくたちにとってダサインがいかに重(じゅう)要(よう)かを表(ひょう)現(げん)しています。
ぼくたちの学(がっ)校(こう)は、青(あお)空(ぞら)に鳥(とり)が飛(と)びかうような緑(みどり)豊(ゆた)かな環(かん)境(きょう)の中(なか)にあります。学(がっ)校(こう)は清(せい)潔(けつ)で、平(へい)和(わ)で、すてきな場(ば)所(しょ)です。立(りっ)派(ぱ)な庭(にわ)もあります。子(こ)どもたちは、石(せっ)けんや水(みず)、消(しょう)毒(どく)液(えき)を使(つか)っています。学(がっ)校(こう)は壁(かべ)で囲(かこ)まれて、門(もん)もあります。子(こ)どもたちはシーソーで遊(あそ)んでいます。おやつを食(た)べる子(こ)もいれば、ぶらんこをこぐ子(こ)もいます。
青(あお)空(ぞら)の下(した)を飛(と)ぶ鳥(とり)、山(やま)の頂(ちょう)上(じょう)からのぼる太(たい)陽(よう)、そして緑(みどり)の丘(おか)が描(えが)かれています。敷(しき)地(ち)内(ない)では、子(こ)どもたちがバドミントンやすべり台(だい)、シーソーで遊(あそ)んでいます。庭(にわ)はとても美(うつく)しいです。また、バヌバクタ・アーチャーリャ(19世(せい)紀(き)のネパールの詩(し)人(じん))の胸(きょう)像(ぞう)があり、そこで礼(れい)拝(はい)する女(じょ)性(せい)がいます。真(ま)ん中(なか)に子(こ)どもたちの親(おや)もいます。小(こ)道(みち)の横(よこ)には庭(にわ)があります。
世(せ)界(かい)中(じゅう)には新(しん)型(がた)コロナウイルスに悩(なや)まされている人(ひと)がたくさんいて、ぼくたちの村(むら)も無(む)関(かん)係(けい)ではありません。人(ひと)びとは石(せっ)けんと水(みず)、消(しょう)毒(どく)液(えき)を使(し)用(よう)しているようです。それでも、何(なん)人(にん)かは病(びょう)気(き)になり、保(ほ)健(けん)所(じょ)に連(つ)れていかれます。重(じゅう)症(しょう)者(しゃ)は、担(たん)かと車(くるま)椅(い)子(す)で病(びょう)院(いん)に運(はこ)ばれます。同(おな)じように、救(きゅう)急(きゅう)車(しゃ)が道(どう)路(ろ)を走(はし)る光(こう)景(けい)も見(み)られます。